阿波むすめの子育てブログ
キラキラしてない二児の母の、ホンネ
妊娠・子育て

「やさしいママがよかった」娘を追い込んだ母親の懺悔

子育て中はとにかく時間がない。自分の時間を作るにはただの早起きではダメで、「かなり早起き」が必要だ。

最近は4:30過ぎに起きて、読書したりストレッチしたりしている。すごくいい時間だ。

それを先日、破壊された。

4:30に4歳の娘が起きてきたのだ。その日は姉弟そろって夜泣きが続き、窓を開けて寝ているので近所迷惑にならないよう抱き上げて寝かしつけていた。授乳こそないけど、まだこんなことをしなくちゃいけないのかとウンザリした夜中を過ごした。

やっと解放された・・・!と命からがら寝室から脱出してきたのに、このザマ。大声で泣きながら起きてきた娘を見て愕然とした。

早朝にご近所中に響く泣き声。真っ先に沸いた感情が

「いい加減にしてくれよ」

だった。

「泣かないで!窓開いてるから!うるさい!!」と怒鳴りつけ、泣き止ますために一応抱っこしたものの、私の大切な時間を邪魔した娘が憎くてたまらない。

娘は4歳半になるがまだ夜はオムツで寝ている。タプタプになったオムツを替えながらそれも憎たらしく、イライラが爆発した。

起きてきたらなぜか怒られるという意味不明な状況に困惑した娘は、とにかくまた寝ればいいんだと理解したのか再度寝室に向かおうとした。それを引き留めて、私はさらに追い打ちをかける。

「なんで起きるの?なんでママを邪魔するの?あなたが起きてきたら邪魔なの!迷惑なの!寝てよ!!!」

酷い。酷すぎる。これはもう言葉の虐待だ。

その日は月曜だった。土日も7時前には起きてきてしまうので、その後はずっと子どもにへばりつかれてストレスフルな週末を過ごし、やっと解放される週明けの朝だった。夜泣きも災いし、タイミングが最悪だった。

とはいえ。とはいえ最低よ。ここまで言わなくていいじゃないかってセリフが滝のように流れ出てくる。そのすべてを浴びせられる4歳。思えばここ2年ほどずっと浴びせている気がする。このままでは娘の人格が壊れてしまうと危機感を感じながら、一線を越えると暴言が止まらない。

せっかく会社員のストレスから解放されて子どもに優しく接することができるようになったのに、自分の時間を邪魔されることへの嫌悪感が異常なまでに膨れ上がっている。それで子どもを罵倒するなんて、なんのためにフリーランスになったんだかわからない。

自己嫌悪でうなだれていると、早朝ウォーキングをしていた夫が帰宅し、事態を把握して娘をそっと別の場所へ移動させていた。私はさらに自己嫌悪に落ち、声を殺して泣いた。

すると今度は息子も起きてきた。もう立てないよって言ってるのにさらに殴られるボクサーの気分だった。

「□□(息子)まで起きてきたじゃん・・・」と悲壮感たっぷりに声をあげると「昨日早く寝たから仕方ないよ」と夫から至極真っ当な返事が返ってきた。そうです。そうですけど。

一晩中、新生児の世話みたいなこと(2人分)してた私の疲労感と、それで起きてこられた絶望感はわからんやろが・・・と腹が立った。そもそも夜間授乳の辛さをアンタは味わってないのに当時から分かったような口ぶりしやがって・・・という今思い出さなくていい別の怒りもセットで。

なんとか子どもたちを保育園に送り届け、いつもの後悔に押し潰される。

今考えても、「早く起きてきた」って、なんにも悪いことしてない。

自分の時間を台無しにされたと怒り狂って臨機応変に対応できなかった私が悪いだけ。それを4歳の子にぶつけるなんて、クソ親。毒親。私は自分に母親がいないことを嘆いてきたけど、こんな母親ならいないほうがいいじゃん。母親がいないより最悪なことしてるじゃん。

猛烈に反省した。

仕事を早めに切り上げ、いつもより1時間早く迎えに行った。息子はいつもの時間まで預かってもらい、娘だけを連れて保育園を出た。

いつもより早くお迎えにいくと「はやおむかえ」と言って喜んでくれる娘。この日も喜んでくれた。弟がおらず自分だけを迎えに来たということも嬉しそうだった。

あぁよかった、まだ私を大好きでいてくれてる。

ちょっとママとお話ししようと言うと、承諾してくれた。本当はお出かけしたかったろうに。

ゆっくり話せる広場まで行き、膝の上に座らせ向かい合って話した。

「今日の朝、〇〇が早く起きてきたとき、ママすごく怒ったよね。」

「うん」

「どう思った?」

「かなしかった」

「そうだよね。ごめんなさい。」

「いいよー」

「ママ、〇〇たちが起きてくる前に本読んだりしてるんだけど、〇〇が起きてきたらそれができないのがイヤですごく怒っちゃった」

「そうなんだ」

「ごめんね、あんなに怒られて、つらかったよね」

「うん…つらかった…」

「これからは、寝たくなかったら、起きてていいよ。ソファでゴロンしたり、パウパト見たり、好きなことしてていいよ」

「わかった。。」(なんか言いたげ)

「〇〇が思ってることおしえて?ママにこういうふうにしてほしいとか」

「・・・・ママをおこらせちゃうからいいたくない」

「そう思わせちゃうまでつらい思いさせちゃったんだね。怒らないよ。どうしてほしい?」

「あんまりおこらないママがよかった。やさしいママがよかった・・・」

あぁあぁああぁ、こんなことを言わせてしまった。

4歳の子どもに、ただ早く起きただけの子に、きっと今までの私の接し方も蓄積して、「自分の気持ちを言ったらママは怒る」と思わせてしまったんだ。

私は4歳で母を亡くし、ずっと母が恋しい人生だったから、自分が母親になることでそのさみしさを埋めてもらったのに、自分で台無しにしている。なんて愚かなんだろう。

他にママにやってほしいことは?と聞くと

「ないよ、あんまりおこらないママならそれでいい。ちょっとはおこっていいけど」と人生何週目かと思う答えが返ってきた。

そのあとは、娘が大好きな葉っぱ集めを息子のお迎えギリギリまでやった。娘は綺麗な葉っぱを見つけるたび、私を呼んだ。

こんなふうに謝って済む問題ではないけれど、まだ娘が心底私を求めてくれているうちに気づけたことでセーフとしたい。

特効薬みたいなのはなくて、性格や環境も影響するし、またイッラァァァァァとするときはすぐ訪れるけど、こうやって記事に残しておくことで娘の言葉を刻んでおきたい。

「怒らない」に「あんまり」を付けてくれた娘のやさしさを踏みにじってはならぬ。

その、「あんまり」がむずかしいんだけど。

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